|
●雁多尾畑さん >
> USJへのバスの話題で持ちきりですがUSJを大阪へ誘致か決定の頃まであった構想を今日は書き込みます。
> この頃の構想によると南大阪線・古市駅周辺にUSJへのアクセス起点として系列ホテルの建設が予定されてました。そしてここからUSJへ向けて、直通バスを運行されるはずでした。
この構想は、少し前の話題になった大阪市交地下鉄谷町線の藤井寺延伸とも絡みがあるのです。それは、70年の大阪万博の会場誘致からあったもので、会場を羽曳が丘に誘致する構想があったと聞いたことがあります。古市のホテルも谷町線の藤井寺延伸も(更には西名阪自動車道も)実は、この羽曳が丘万博会場へのアクセスや宿泊施設としての構想だったハズでした。
ところが、実際に万博会場には千里丘陵が選ばれて、羽曳が丘が日の目を見ることはありませんでした。それは、新幹線や空港(当時は関西新空港の構想は表立っていなかった)から遠いことがネックになったからでした。当時は新幹線の輸送力(ひかり号全列車を12両から16両化)と伊丹空港の3000M滑走路及び旅客ターミナルビルの完成(現在でも改修だけで供用しているのはある意味でスゴイ)で事足りたのです。
もし、関空があの時代に供用していれば、今の北大阪急行電鉄や千里阪急ホテルのようなものが、南大阪線の沿線に出来ていたかも知れませんね。南大阪急行電鉄や河内都ホテルとか名乗ってたりして(^^)。
近鉄バスネタが無しでもまずいので、名誉のためにカキコすると、このHPにもありますように、近鉄グループとしては、茨木バスを合併して何とか足を確保すると共に、名神高速線へ南海・阪神と共同で日本高速バス(現名阪近鉄バス)で進出して、名阪間の足を強化と防衛に努めたのが、万博誘致時代の努力ともいえるのではないかと思います。
70年万博のロープウエィのスポンサーが近鉄だった事を近鉄資料館の展示で知って驚いた500系こだまでした。
|
|