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▼SCRさん、▼ねっくさん:
情報ありがとうございます。
>>「近畿日本鉄道・最近20年のあゆみ」(昭和55年10月1日発行)
>> という本の自動車事業・乗合事業の頁より
>>路線の概要(昭和55年10月1日現在)
>>布施市内線 小阪駅前−南衣摺 3.5
>>と記載があります。
>>(布施市となっているのは、東大阪市誕生前のままの線名だからでしょう)
>>但し、
>>主な運行系統表(昭和55年10月1日現在)には、
>>この路線の記載はありません。
>>「いま私たちは考える―交通―」(昭和54年1月発行)
>>という本では、
>>30 小阪駅前−南衣摺 台(一日4本) 近
>>となっています。
>>番号は、他の系統とものと見比べると系統番号の事で間違いないと思います。
>>主な通過地の 台は、巽台停留所の誤植と思われます。
>>(一日4本)は運行本数と思います。(←少ないですね。まぁ狭隘区間があるし、廃止になるような路線だし、こんなもんでしょうか)会社の近は、当然 近鉄 の意味でしょう。
なるほど。4本だと当時の状況を考えてもかなり少ないですね。
近鉄の資料というと、上本町の近鉄資料室(旧本社ビル・近鉄劇場の隣)に、もう15年くらい前に行った際、社内報「ひかり」で近鉄バスの全線を毎月1〜数路線ずつの紹介をしたものが、まとめてファイルされて置かれていました。この紹介は1977〜8年頃であったと思うのですが、今もこれが残っておればこの路線について確認できるかもしれません。
生憎、平日の開室日に行くことができないのですが、時間が与えられれば、一度確認してみたいと思います。
>記憶ですが昭和50年頃廃止になったと記憶しています。
>昭和47年頃はボンネットバスでツーマン運行、最終期はいすゞの小型車でワンマン運行だったと記憶しています。
>担当は志紀営業所(八尾)
いすゞの小型やボンネットというのがすごいですね。昭和47年・・・1972年ごろまでボンネットが大阪近郊で活躍していたのも意外な感じはしました。
いすゞ車は、1960年代半ばまで導入されていたという記録がありますし、以前はこのクラスはいすゞの独壇場でしたから、わかるような気がします。
八尾(志紀)の担当なのも、大蓮線がそうなので妥当かと思います。
今復活させるとすると(そのままとはならないだろうが)、リエッセがありますから、車両面では無理なくできそうな気がしますね。
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