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●500系こだまさん >
> 確か、跡地は京都市の運動公園として横大路から移転(現存する横大路の運動公園にパープルサンガのホームグラウンドになるサッカー場建設のため)する計画を進めているようですが、その際には近鉄バスではなく、京都市バスか京阪バスの路線でも走らせるのでしょうか?
> 個人的には廃止ではなく、将来の路線再構築(京都市バスの委託をも考えて)のために休止でも十分なように思いますが、いずれにしても今後も目は離せないようですね。京阪電車の新駅(上記サッカー場オープンのため)構想を含めて共々そう思います。
そのようですが、バスはどうなんでしょうか、運動公園程度だとバスといってもせいぜい臨時運行程度になりそうです。
近鉄バスの場合、京都営業所を向島のあの狭い車庫にしてしまったので、これ以上充実させるとは考えにくい・・・というか、充実させるなら、前の車庫でも良かったと言えます。
●ダブルクラッチさん >
>> 今から約5年程前、関西テレビのバスでコロコロという番組で、越前屋俵太さんとひさうちみちおさんが桃山駅から乗車したときも車内は貸切状態でした。
>>(でも京都駅〜奈良の月一バスは知っていた)
私が12年ほど前に桃山城に行ったときは、丹波橋から歩きだったのですが、それでも12〜3分だったので、バスの利用価値はどうなんかなあと思っていましたが、ちょうど修学旅行の中学生が大挙路線バスで乗り込んできたのをおぼえています。
当時の桃山線は、冷改RE(62**号車)で、前乗りで運行していました。REは前扉脇にも方向幕をもっていましたので、それを活かしていました。恐らく最後まで残った前乗り路線だったと思われます。
京都〜奈良はその頃は京都口は1時間に1本くらいありましたが、京都駅から桃陵団地前までクローズドドア制で、当時のJTBるるぶガイドでもその旨が書かれて、系統図が省略されていました。
京都駅では、新・都ホテルの横に待機場があったようで、バスが止まっているのを見たことがあります。
96年に月イチ運行という奇妙な状態になったときは、さすがにこんなの誰が乗るのかいなと思ったですね(月イチということなら、阿倍野橋〜天理もありましたが)。
その頃、京都駅には京阪宇治交通も乗り入れていて、ガーデンズ天ヶ瀬が出来たときには直通バスも走りましたが、これも長続きしませんでした。そのガーデンズも去年閉鎖になってしまいました。
京阪系では瀬戸大橋の与島フィッシャーズマンワーフの閉鎖が発表され、一方、名鉄は日本ラインをやめるということで、鉄道系レジャー施設にますます厳しさが募る今日この頃です。
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