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近鉄バス百科特集
さらば、吉祥寺近鉄
本ページでは、2001年2月20日に閉鎖された近鉄百貨店東京店(吉祥寺)の閉鎖後の様子を紹介します

閉鎖なった近鉄百貨店東京店(中央) 2001.2.21
26年の歴史に幕
近鉄百貨店東京店は、編集長の生まれた年と同じ、1974年に開店いたしました。
当初は別会社の(株)東京近鉄百貨店としてオープン、近鉄百貨店としてははじめての東京進出でした。1983年に(株)近鉄百貨店への吸収合併で、近鉄百貨店東京店に改称されます。
以後、武蔵野最大の商業地・吉祥寺の一角を占めるデパートメントとして、伊勢丹や東急、丸井、Loftなどとの競合のもと、営業を続けてきました。
しかし、近鉄百貨店は東京にはこの1店舗しかなく、しかも都区内でない場所のために存在感はイマイチであり、結果的に効率が悪く、1988年に赤字決算になってからは、1991年に売り上げがピークに達したものの、赤字解消には至らず、その後は新宿や立川に他社の大型店がオープンしたことで売り上げも落ちて、経営的にも今後、プラスにならないと判断されたのでしょう、ついに2000年10月25日に、閉鎖を発表するに至りました。
また、同時に経営危機にある、京都近鉄百貨店の近鉄百貨店による救済合併を2001年2月28日に行うと発表しました。さらに今年2月19日には、傍系の三交百貨店も伊勢店を閉鎖すると発表しています。
そして、近鉄百貨店東京店は、平日の2001年2月20日にひっそりとその歴史に幕を下ろしました。
建物は、近畿日本鉄道が保有していましたが、閉店前に近鉄百貨店に譲渡されています。
なお、閉鎖後の建物は、大塚家具と三越に貸し出され、B1〜2Fが三越、3〜8Fが大塚家具として、2001年6月14日にオープンしました。しかし、近鉄百貨店がこの建物を投資会社に売却することになったため、これに伴い大塚家具と三越は2006年に閉鎖。2007年にヨドバシカメラが進出します。なおヨドバシは近鉄京都店の土地建物の売却先にもなっており、こちらも2007年に百貨店の閉鎖後、改築して出店する計画を持っています(この項2007.2.17更新)。
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近鉄百貨店、東京店を閉鎖 (讀賣新聞・東京 2000.10.26)
近鉄百貨店(本社・大阪市)は25日、東京店(武蔵野市)を来年2月20日に閉鎖して、首都圏から撤退すると発表した。また、グループ傘下で経営再建中の京都近鉄百貨店(京都市)を、来年2月28日に事実上、吸収合併する。
東京店は74年に開業し、ピーク時の91年2月期には、215億円の売上を記録したが、2000年2月期には151億円にまで落ち込んでいた。
一方、京都近鉄は、2000年2月決算で2期連続の債務超過、5期連続の無配になり、このままでは上場(大証1部・京証=MIYAKO註)廃止になるため、経営の効率化と財務体質の強化を図るとともに、京都近鉄の株主を保護するため、合併に踏み切ったという。
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幻の都心進出
近鉄百貨店も、都心への進出を検討していなかったわけではありませんでした。
実際、1997年には都心に大型店を出店するために、候補地選定も実施していました。候補地には、汐留貨物駅跡も含まれており、同年2月の入札に参加する計画もあったようです。しかし、落札価格の高騰が懸念されて断念してしまいます。
その後、近鉄百貨店を取り巻く環境は悪化、とくに傍系の京都近鉄の経営は危機的な状況にあり、業態変更(プラッツ近鉄として改装)などを行ったものの焼け石に水の状況で、結果、東京から撤退して関西圏に経営を絞るとともに、京都近鉄を救済する道を選んだわけです。
なお、京都近鉄の前身、「丸物」は東京にも店を持っていました。そのうち、池袋店は現在のパルコ本館で、1958年に国鉄池袋駅ビルのメインテナントとしてオープンしましたが、経営者の死去によって同社の経営は悪化、手放してしまったのです。もし、ここだけでも残していれば、近鉄傘下になったとしても、同社の経営には少なからず寄与した可能性があったかもしれません。
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東京都心に大型店 近鉄百貨店が計画 (朝日新聞・東京 1997.5.8)
関西を地盤としている近鉄百貨店(本店・大阪市)は7日、東京都心部に大型店を出店する方針を明らかにした。今後2年以内に出店地域を絞り込む。東京都武蔵野市(吉祥寺)に中型店を持つが、「都心に店を持たないと、売り上げがどんなに増えても『大きな地方百貨店』としか見られない」(幹部)という思いから、出店の方針を決めた。
近鉄百貨店は、グループを会社も含めて17店あり、そのうち10店が関西に集中している。
吉祥寺の東京店は1974年5月に開業し、売り場面積は約1万8500平方メートルで、年間売り上げは170億円。
今年2月に入札があった東京・汐留の旧国鉄貨物駅跡地への出店も検討したが、入札価格が予想以上に高くなる見通しになったことから、断念した。しかし、都心の候補地は他にも複数あるという。
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「沿線回帰」で近鉄はよみがえるか
グループの本丸である近畿日本鉄道も、近年経営が悪化しています。本業である鉄道部門は、乗客の減少が続いており、既にバブル期に比べ2割の減となっています。会社は3期連続の赤字、そして2002年3月期は無配となり、従業員の削減や、駅業務の分社化、北勢線の廃止などが発表されています。
また、系列会社でも、京都近鉄百貨店のほかにも、近鉄プラザ百貨店(桔梗が丘)が近鉄百貨店への吸収で再出発を図っています。
都ホテル&リゾーツも、建物老朽化の進んでいた名古屋と長良川本館を閉鎖、東京の三田も閉鎖、「本家」である京都も経営悪化に伴い、外資と提携して2002年4月に「ウェスティン都ホテル京都」となっています。フランチャイズで営業している甲子園(所有は清酒「白鹿」の辰馬酒造本家)も2002年に契約を解消、外資系と契約の上再出発しています。
不動産部門も、近鉄不動産が土地の評価損が大きく、近鉄本体に吸収され、代わって近鉄不動産販売が、新たに近鉄不動産の名前を受け継いで営業することになりました。同時に、系列の近鉄ホーム建設(金沢)は会社を解散しました。
外食や駅売店を手がける近鉄観光は、売店部門を近鉄本社に譲渡しています。
観光産業では、志摩スペイン村がUSJのあおりを喰って、大幅に利用者を減らし、遊戯物を近鉄本社が買い取るなどで、経営再建を図っています。伏見桃山城も閉鎖を発表。また、一時は業界を騒然とさせた近畿日本ツーリストと日本旅行の合併も破談になりました。そして、近鉄劇場の閉鎖、OSK日本歌劇団の解散も発表されました。2002年7月には、系列ゼネコンの大日本土木が民事再生法を適用して破綻。近鉄本社の株価も低迷しています。
運輸部門でも、2001年10月に東京近鉄観光バスが、コンサルタント・アウトソーシングなどを手がける「クリスタル」に譲渡して系列を離脱、今後も沿線外の不採算企業を中心に、整理・統合を図っていく方針を示しています。
これによって、近鉄グループは全国規模のコンツェルンではなく、「沿線に密着した」企業へと変わっていく方向にあります。
しかし、これによって近鉄グループは変わるのでしょうか。今、見ているだけでは、縮小均衡を図っているようにしか思えないのです。確かにバブル期のツケは処理しなければならないでしょうが、近鉄グループのイメージをダウンさせることだけは避けて欲しいものです。(この部分は2002.8.15追加、2003.1.1更新)
それでは、次のページで近鉄百貨店東京店閉鎖翌日の様子(ただ単に当日行くのを忘れただけ)を紹介します。
(最終更新:2003.1.1)
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